「誰も信じるな」を物語と戦闘にする
初めて一人で物語を書き、初めて本格的な2D横スクロール作品へ挑んだ記録。テーマから世界観を立ち上げ、物語と戦闘のテンポ、素材の統一、猫への変身、そして救いのない結末までをどう一つにまとめたか。
「誰も信じるな」を、ただ仲間が裏切る物語にはしたくありませんでした。
考えたのは、誰もが深く信じている世界や価値観そのものを揺らし、プレイヤーへ「自分が信じているものは、本当に信じるべきものなのか」と問い返すことです。人と魔族の平和、勇者と正義、歴史として教えられた過去。疑う対象を一人の人物ではなく、世界の前提まで広げました。
信じるな、ではなく——なぜ、それを信じている?
この世界に、何もせずに維持される平和はありません。一度手に入れた平和も、数百年続いた平和も、永遠に変わらない保証にはならない。人と人の信頼も無条件ではなく、危機が起きたときこそ、普段は見えないひびが現れます。
歴史の誤りを「昔からそうだった」「そうなるのが当然だ」と受け入れれば、同じことは繰り返されます。どちらの側も、疑ってはならない絶対の「正義」にはできない。それは最も親しい人であっても例外ではありません。
物語や裏切りを軸に考えたとき、主人公が押し付けられた真実へ抵抗する行為を、そのまま戦闘にできると考えました。「信じるしかない」状況に対して、剣を取り、逃げ、押し返す。戦闘はテーマから離れた別の遊びではなく、反抗そのものです。
同時に、重い物語へ少しだけいたずら心を入れ、展開上の役割も持たせるため、主人公を猫へ変身できるようにしました。人間——そして勇者——としては動きにくい場所で、猫の姿が代わりに仕事をする。二つの姿が互いの弱点を補う設計です。
個人制作で初めて物語そのものを書いたため、最大の課題は「読ませる時間」と「操作する時間」を互いに止めないことでした。
全体のリズムは、物語 → 行動 → 物語 → 戦闘 → 移動 → 物語 → 大型戦闘 → 真相開示。説明をまとめて渡すのではなく、プレイヤーが一つ知るたびに自分で動き、その行動の結果として次の疑問へ進む構成にしました。
ゲームジャムの短さは制約ですが、場面を削る判断基準にもなりました。物語を進めない戦闘、操作の意味を変えない説明は置かず、それぞれが次の場面へ圧力をかけることを意識しています。
個人制作で特に怖いのは、必要な素材を集めても、それぞれが別の作品から来たように見えることです。機能していても、世界観に溶け込まなければ物語への没入は簡単に途切れます。
そこでポストプロセッシング、全体の色調、キャラクター同士の比率、VFX の明度と輪郭を繰り返し調整しました。個々の素材を目立たせるのではなく、同じ光と空気の中にいるように見せることへ時間を使っています。
物語を書く最初の個人作であると同時に、本作は私にとって初めて本格的に完成させた2D横スクロール作品でもあります。ずっと挑戦したかった形式で、カメラ、奥行きの見せ方、足場の読みやすさ、戦闘空間の幅を一から学びました。
中でも、左右の壁を交互に蹴って上へ登る移動を初めて実装しました。上にいる敵が進路を塞いでいるため、操作を覚えることがそのまま攻略になるよう設計しています。
コンボの多様さだけでなく、攻撃が当たった瞬間のフィードバックと、次のスキルへつながる手触りを重点的に調整しました。アニメーション、ヒットストップ、VFX、敵の反応、画面の動きが同じ瞬間を指すことで、短い入力にも重さを返します。
スキル同士は単発の見せ技ではなく、反撃、距離の調整、次のコンボへの接続として使えるようにしています。物語の主人公が追い詰められていても、操作する側には「まだ抵抗できる」という感覚を残すためです。
Global Game Jam、GMTK、Unity1week などには参加してきましたが、Brackeys Game Jam は今回が初参加でした。これまで触れたテーマは、単語や短い語句から自由に連想を広げるものが多く、解釈の空間がかなり広い印象でした。
対して「Trust No One」は、最初から状況や命題を含んでいるように感じました。物語の始点として非常に相性がよく、「誰が裏切るか」から「信じるとは何か」へ掘り下げられたことが、とても面白かったです。
この物語にグッドエンドはありません。あるのはバッドエンドとトゥルーエンドだけです。
真相を知ることは、すべてが救われることと同じではありません。何を信じるかを見極めたあとにも、壊れた平和と選択の結果は残る。その灰色さまで含めて、「誰も信じるな」というテーマに対するこの作品の答えです。